稀代のエースと3度の悲運

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 今季から西武を指揮する西口文也監督(52)と言えば、忘れられないのは3度のノーヒットノーラン未遂だろう。2010年代の人気番組「マツコ&有吉の怒り新党」でも新・三大「西武・西口投手の哀しい勝利」と題して取り上げられ、野球ファン以外にも広く知られることとなった。

 県立和歌山商業高校ー立正大出身で、1994年ドラフト3位で西武に入団。182センチ、75キロの細身で長い手足を鞭のようにしならせ、キレのある直球と代名詞の落差のあるスライダーで翻弄する。好調時は手がつけられず、ひょうひょうとした投球で、打者をきりきり舞にさせてきた。2年目の96年には16勝を挙げ、翌97、98年には2年連続で最多勝と最多奪三振、うち97年には勝率1位で最優秀選手、沢村賞にも輝き、チームを連覇に導いた。

 ”偉業未遂”はいずれも本拠地の西武ドーム(インボイス)で起きる。最初は2002年8月26日のロッテ戦。1四球のみで完璧に封じ、あと一人となった九回2死から小坂誠に中前打を許した。

 2度目は3年後。05年5月13日の巨人戦は1死球のみで迎えた九回2死、清水隆行にスライダーをライトスタンドへ放り込まれ、完封も逃す結末となった。

 最も記憶に刻まれるのが同年8月27日の楽天戦だ。一人の走者も許さず、迎えた鬼門の九回2死から遊ゴロに打ち取り、完全試合達成かと思われた。だが、楽天の一場靖弘に一世一代の投球を演じられ、九回まで打線が完全に沈黙。0ー0のまま延長戦に入ると、続投した十回に先頭の沖原佳典に右前打を許した。その回を無失点に封じ、打線はその裏に石井義人がサヨナラ打を放って決着させるが、完全試合も無安打無得点試合も幻となった。

 いずれも奇しくも28人目の打者で歓喜の瞬間を逃したものの、勝利はつかんでいる。その後も2011年に6年ぶりとなる自身10度目の2桁勝利を飾るなど、15年までの現役生活で積み上げた勝利数は「182」に上った。200勝の大台にこそ届かなかったものの、西武一筋21年の背番号13は記録にも記憶にも残る正真正銘のエースだった。

 引退から10年。1軍投手コーチや2軍監督を経て、指揮官として戻ってきた。天国も地獄も知る豊富な経験を糧に、前年にどん底を味わったチームをどのように立て直すのか。その手腕に目が離せない。

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