松井稼頭央前監督 “休養”その後

話題
にほんブログ村 野球ブログ 埼玉西武ライオンズへ
にほんブログ村

 昨季途中まで監督を務め、成績不振で休養となった西武のレジェンド松井稼頭央氏が、プロ野球名球会のYouTube「名球会チャンネル」に出演し、インタビューに答えた。今春に解説者や現場取材といったメディア出演を再開しているが、改めて休養からここまでの歩みを振り返った。

 2019〜22年に西武の2軍監督を務め、23年に1軍監督に就任。同年は5位に終わり、24年は開幕から15勝30敗の最下位で早くも自力優勝の可能性が消え、5月下旬にセ・パ交流戦を前に「休養」となった。あれから10カ月。今年3月14日に「西武を去った日 & ドジャース ロバーツ監督と再会を語る」と題して動画が公開。東京都港区の少年野球大会と野球教室にゲスト参加した際に答えた。

監督「休養」中は海外視察

 休養発表について「言い方からすれば休養かもしれないが、休養ではないと思っていた」と言う。西武を含むパ・リーグの試合は見続け、球団と話をする中で、球団の一員として国内外のスカウトに同行し、外国人選手の視察に行っていたという。米国野球の現状を知り、助っ人の獲得について野手目線で検討し「僕自身もすごく良い勉強になった」と振り返る。

 休養前に伝えたかった思いについて、選手に向けては「少しでも話しておかないと会える機会がない」と考えつつ、「ちょっと言葉もなかなかうまいこと伝えられなかった」と吐露する。ファンに対しては「苦しい中でも本当に最後の最後まで熱い声援をしていただいた。期待に応えることができなかった思いが一番強いが、皆さんの声援が力になった」と感謝した。

立教大臨時コーチで指導

 2025年の活動予定は「解説の仕事を含めていろいろなことにチャレンジしていきたい」と掲げる。大阪・PL学園高校を卒業後約30年、日本プロ野球、米大リーグでユニフォームを着続けてきただけに「勉強という意味でもいろいろな角度から野球を見たい」と言う。

 今年2月に学生野球資格の回復を認定された。早速、立教大野球部から臨時コーチの打診を受け、同月に5日間、鹿児島県阿久根市で指導し「すごく楽しかった。学生たちは素直で、自分の課題も含めていい時間になった。学生たちにとって少しのきっかけになってくれたらなという思いを持って話をした」と明かす。

 今後のアマチュア指導について「話をいただければ。そういうところから一緒にやっていくのは非常に大事」と前向きだ。「これからの進路で野球を続ける人も違う道に進む人も、いい思い出としてさらに上を目指してもらうきっかけになれば」とした。25年秋には立教大大学院の受験を表明している。

監督再登板への思いは

 ドジャースのデーブ・ロバーツ監督とは取材で再会。現役時代を覚えてもらっていたといい、「セカンドを守っていたとか足が速かったとか、嫌なバッターだったと話してくれた。嬉しかった」と笑みを浮かべた。2004年4月、米大リーグで開幕戦新人として史上初となる初打席初球ホームランの記録について振られると、「20年前だね」と笑った。

 将来的な監督再登板についても問われ、「いやいやまだ去年の今年ですから。そういうことは全く考えていません」。一方で「今できることをやっておかないと、そういう道も開けてこないだろうし、今を大事にやっていきたいなと思う」と語った。

 昨年11月、日刊スポーツの取材でも寂しげに思いを語っていた松井氏。ファンからはその後が心配されていたが、早々と指導者として活発に行動し、次の段階へ前向きに歩んでいたことがわかった。当時を振り返ると神妙だったが、今後に向けた話では明るさを取り戻していた表情が印象に残った。

西武を去った松井稼頭央氏が半年ぶりに沈黙破る あの日若獅子やファンたちに伝えたかったこと - プロ野球 : 日刊スポーツ
今季限りで西武を退団した前監督の松井稼頭央氏(49)が11月、ついに沈黙を破った。約半年ぶりに日刊スポーツなどの取材に都内で応じた。監督休養が決まった5月の“… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)

コメント

タイトルとURLをコピーしました